【朝メシ】
・家/アイスコーヒー、マカロニグラタンピザ
【昼メシ】
・上野/国立化学博物館ハーブガーデン
・上野/居酒屋「活鮮市場 上野弐号店」
【夜メシ】
・家/菓子、チーズ、酒
【イベント】
国立科学博物館「人体展」、アメ横、西新井温泉、大相撲夏場所千秋楽録画視聴
【所感】
■なぜ博物館に行くのか
今日は毎週日曜恒例の鍼治療がない。しかしその分朝早くから出掛けられることもあり、上野公園の国立科学博物館で開催中の「人体展」を見る予定を立てていた。
「人体展」。聞けば連日大混雑で、晴れの日なら2時間待ち、大雨の日ですら40~50分待ちは当たり前という状況が続いている模様だ。実際、先日大雨の中を出向いたところ、40分待ちと言われて引き返してきたばかりだ。一旦勢いが付いてしまった以上、展示終了まで混雑が解消されることは二度とあるまい。正直、そんな展示会はスルーしたい。あまりに混み過ぎると、内容やクオリティに関わらず満足度は激減するものだから。
その一方で、やはり一度は観ておきたいという消せない気持ち。そう思うのは、純粋に興味をそそられるからか。それとも「観た」という実績が欲しいだけか。SNSにUPして見栄を張るのが目的か。「ヤバいほど行きたい」と目を輝かせるのか、「行かないとヤバい」という焦燥感にも似た心境か。どちらに比重が置かれているのか。美術館なんかもそうだけど、この手のイベントに連日押し掛ける連中の真の目的は何だろう。そんなことをよく考える。
ただ理由はどうあれ、「観たい」という欲求があり、開催期間が残り少なくなってきたという現実もあるからには、結局のところ乗るしかない、このビッグウェーブに。
■思い込みは外れた時のダメージが大
それにしても、定期の鍼治療がないというだけで激しく募る不安。このまま行くと、前回の治療から丸1週間の間隔が空く計算になり、週2回の治療を常としていた自分から見れば恐怖。良い状態の時なら週1間隔でも持ち堪える自信はあったが、今はむしろ悪い状態なので余計。ほんの少し前まで感激するほど快方に向かったのに。
数週間前、長きの停滞期間を経て容態が急激に回復してきた。ここまで来れば後はもう上昇するだけだと、二度と転落することはないだろうと、そう思わせるだけの好感触が確かにあった。2年間治療を受け続けた甲斐があったと。日々ストレッチや筋トレを並行して行った努力が報われたのだと。確信的なインスピレーションだった。
のに、舌の根も乾かぬ内にその絶対的自信があっさりと覆る。ホント適当なインスピレーションだなと、むしろ自分の分析力の無さに失望した。根拠なく「天啓を得た」とばかりに一方的に思い込むことの危険さ、そして虚しさが滲み出た出来事だ。
ポジティブ思考も時には大切。しかし、あまり自信を持ちすぎると逆方向に行った時のショックもデカくなるので気を付けた方がいいだろう。かと言って、いつまでも「もう二度と這い上がれない」などとネガティブ思考に徹し続けるのはさらに下策。良くなるものも良くならない。よって、バランスよくネガとポジとを使い分けることが重要。決して暴走せず、だからとて退は決してしない、という。しかし…、
事象を冷静に見つめた上で適度な前向きさを持つことは言うほど簡単ではなく、むしろ相当ハイレベルな調整能力だろう。その調整能力を持続するにはまず健全な精神を保ち続けることが前提だが、その健全な精神こそが得難い資質だからだ。健全であろうとする姿勢はある意味荒行、自然への逆行。精神に激しい負担が掛かる。その自然に逆行した荒行を、自然な精神で行うのが既に矛盾。よって、ネガとポジの両立も矛盾していることになる。その矛盾を実践しなければならないのだから、全くもって世の中は世知辛い。
差し当たって今回痛感したこと。今後は、いくら自分の中で腰痛が劇的に軽減したと感じても、決して舞い上がらず、「後は良くなるだけ」などと根拠のない自信は持たず、泰然自若としてその時その時の状態を受け入れつつ、運動など毎日のルーティンも淡々とこなす弾力ある腰痛生活を送るよう心掛けたい。期待して裏切られるのはもう沢山だ。
■朝メシのボリューム、出発時刻、いずれも計算違い
理由はどうあれ、朝早めに出発して国立博物館の「人体展」を満喫するのが当初の予定。しかしそれなりに待たされるのは想定の範囲内で、見学が終わった頃には昼メシ時を大幅に過ぎているだろうことも容易に予想できる。そこまで腹が持つ程度に朝メシは軽く食っておいた方が無難。ただし見学が終わった後は飲み屋で食事する予定だから、あくまで軽い朝メシを。
という流れから、朝メシを摂ってから出掛けることにした。空腹がもたらす苛立ち、凶暴化。決して侮れない。イライラ、罵声は当たり前、酷くなれば猛獣のごとく襲い掛かってくる場合さえ有り得る。理性を纏った人間とて、本質的には一個の猛獣。「腹が減っては戦が出来ぬ」という格言は、文字通り人間が戦う本能を宿した生き物であることを証明している。ゆめゆめ軽視するなかれ。
暴動が起きない程度の食事量ということで、冷凍庫にいくつか保存しているはずの食パンをトーストして食うという手筈になった。しかし実際に冷凍庫を開けると、食パンが一枚しかなかった。薄っぺらい食パンが1ピース、そこにあるだけだった。
トースト1枚を2人で分ける。当然おかずはない。さすがにそれは…。バターで味付けすれば少しは…。いやそういう問題ではなくて…。このままでは内なる猛獣王が起きかねない。しかし事実、1枚しかないし…。
その時、一昨日あたりに嫁が勤める店からおすそ分けで貰ってきたグラタンの残りが少量あることに気付く。グラタン単品なら侘しいものだが、それをトーストの上に乗せてピザ風に調理すればどうだろうか。華やかかつボリューミーになるのではないか。早速その案を実行し、オーブントースターで焼いた。
すると、予想よりもアツアツで厚みのある、いかにも美味そうなマカロニグラタンピザトーストが出来上がった。これならば、2人でトースト1枚分でも腹持ちしそうだ。なかなかのアイデアであり応用力だと感心したものである。
しかし、アツい朝メシを食って気が緩んだのか、昨日かなり遅くまで夜更かししたせいか、テレビを観ながら一休みしている内に、つい寝入ってしまった。起きてからも動きは緩慢に。そのまま少しずつ時間は過ぎていき、結局出発したのは11時頃。鍼治療に行ってから行動開始するのと同じくらい、いやむしろそれよりも遅めになってしまった。
より早めに動き、より前から準備する。口でそう宣言しながらも、事実としては舐めていたのかもしれない。本当の意味で危機感を持っていないのかもしれない。「人体展」が見れなくとも死ぬわけじゃなし、という気持ちが底にある。その気持ちが悪い意味での計算高さとなって、本来せねばならないはずの行動を阻害する。危機感を持っていればテレビなど観ないし、一寝入りしたりもしない。そもそも夜更かしすらしないだろう。そうしない俺等は、結局のところまだまだ甘かった。
家を出て、昼頃にようやく上野公園に到着した。
■上野公園は五月晴れで人多し
前回出向いた大雨の日と違い、今日の上野公園は晴天。まさしく五月晴れと言ってよさそうな天候であり気候だ。当然、客足も多い。だからこそ、尚のこと今日の目的である「人体展」も一層混雑するのではないか。行列に並んで長時間待つことも想定し、公園入口すぐの東京文化会館でトイレを借りつつ一息ついてから、国立科学博物館へと向かった。
ちなみに東京文化会館は、主にオペラやクラシック、バレエなどを開催するホール。エントランスホールはかなり広くて人もそれほど多くないので、気持ちを落ち着かせるには結構役立つ場所である。
こうして国立科学博物館へ到着した俺等だが、予想通り「人体展」は長時間待ち、かつ会場も混雑しているらしい。チケット有りで90分待ち、チケット無しで100分待ちとのことだ。そんなに待つのか…。そこまで長時間なのは、大分昔アドベンチャーワールドに行ってパンダの赤ちゃんエイヒンとメイヒンを見るために並んだ時くらいしか覚えがない。そこまでの価値があるのか?
そもそも収容人数のキャパを超えてるんじゃないか? テレビなどでも精力的に宣伝したりしてたし、客を煽りすぎたからこうなる。居酒屋の呼び込みに釣られて店に入ったのに満席で座れなかったことが判明した時の理不尽さを客が抱きかねない。じゃあ呼び込みなんかすんなよ、と。
そのくらい「人体展」の会場内は混んでいた。正直、ストレスの方が勝った。
■整理券という手法
そのストレスについては後で述べるとして、まずは100分待ちを許容するか否か。また後日改めて訪問したとしても多分同じ状況だろう。いやむしろ開催終了日時が迫っているだけに、今後さらに混雑度は増すかもしれない。結局、いつ行っても同じだ。ならば覚悟を決めて並ぶべし。今日でこの不毛な待機生活を終わらせる。
意気込んでチケット売り場に並び、「大人2枚」とチケットを購入。そのまま進むと、係員の男性から整理券を渡された。その整理券には「14:00~14:15」と書いてある。つまり今すぐは入れないが、14:00~14:15の間に来てくれれば会場入り出来るという確約書のようなものだ。時間指定で会場入りを保証してくれるのが整理券のメリットだ。
しかしデメリットもあるな。整理券は一見、間引きによって混雑を解消しているように見えるが、本来来場する客の総量は変わらない。しかもいくら間引きしたところで、時間制限がないのだからと一つ前に入った客達が会場内に滞留しているところに次の客達が後から後から押し寄せれば、会場内はどんどん混み合い人でギュウギュウになるという結果は変わらない。根本的解決にはならないだろう。
具体帝に言うなら、俺等の整理券の時間帯が「14:00~14:15」ということは、続く集団は「14:15~14:30」「14:30~14:45」「14:45~15:00」という順序になるはず。つまり15分刻みを1ブロックとして整理する。その1ブロックの定員が10人程度だったらいいのだが、規模が違う。100人規模だ。つまり15分ごとに100人の人間が入ってくる。15分程度時間をずらしたところで会場内の前方は詰まっていくだろうし、そうなると当然後方がつかえてくる。結果、前にも後ろにも進めない大混雑が起きる。目に見えているだろうに…。
だが、来場した客を全て収容しなければいけないのも会場側の責務。その点を第一優先にしていた感はあるな。言い方を換えれば「チケットを売っちまえばもう後は知ったこっちゃない」という売りっ放し状態にすら見えた。それほど今回の「人体展」の混み方は異常だった。いや、不快な混み方だった。それも後で後述するが…。
いずれにしても、整理券に記された「14:00~14:15」の時間帯までは何も出来ない。現在12:10頃。2時間も時間がある。最初入口に書いてあった『100分待ち』ってのはこういうことだったんだな。係員は「常設展でもご覧になって」とか「レストランなどもあります」とか、そこで時間を潰せばいいじゃん?的な軽-い感じで言うけれど、何回か観たことのある常設展で2時間も潰せるわけないだろ。メシだって食わないようにしてるし。
だったら国立科学博物館の外に出させてくれよと言いたいが、出てはダメ、博物館の敷地内だけで過ごして下さいとかもう二律背反。入りたいのに入れず、出たくとも出れず、入るのも出るのもダメだと言い放ち、「何もすることがない状態で時間を潰す」ことを強要され、だからと言って助力も助言もなく「あとは勝手にやってくれ」とばかりに放置。整理券を渡したら、もう仕事は終わりとでも言わんばかり。これも整理券のデメリットであるな。
つまるところ、それだけ客が多かったということになるが…。そもそも昔は整理券なんてシステムじゃなくて、延々と行列に並んでいたような気がするが。普通の行列の方がマシだと今日は思った。時間潰しがなかなかに難しかったから。
■時間潰し
与えられた2時間。いや押し付けられた2時間を、いかにして潰すか。鉄板だがまずは「常設展」に行くしかない。
「常設展」は、大型恐竜の骨格標本から、ネアンデルタール人やクロマニョン人の髑髏など多数の展示物を踏まえながら、当時の気候、風習など生物や人類の歴史を学べる高度な展示施設だ。超特大の亀の祖先「アーケロン」の骨格標本は迫力満点。子供にも人気があるし、何度行っても新鮮な発見があった。
しかし、一から気合を入れて観ようというほどではなく、結局20~30分で見学が終わってしまった。あと1時間半も一体どうすればいいのか。
それより少しだけ腹が減ってきた。朝少し食ったものの、上野入りしたのが昼過ぎで、14時にならないと会場に入れないというかなり遅れがちな時間進行を考えたら、もう一度何か口に入れた方が良いかも。しかし、レストランで食うほどガッツリいきたくはないし…。
悩みながら館内を見ていると、屋上に「ハーブガーデン」という屋上テラスがあるらしいことに気付く。そこで軽食の屋台もやっている感じだ。これはいいかもと思い、その屋上テラス「ハーブガーデン」へと足を向けた。
「ハーブガーデン」は、その名の通りハーブを中心に植えた都会風の庭というところか。ベンチや屋根付きテーブルもある。休息するには十分だろう。さらに軽食を売っているキャンピングカー風の屋台が1店舗あったので、早速食い物と飲み物を調達しようと列に並んだ。キッチンカーという奴か。
看板を見ると、食い物はピザと、焼きそばと、アメリカンドッグが頼める模様。唐揚げとフランクフルトもあったが売り切れのようだ。小さく「かき氷はじめました」という貼り紙もあった。焼きそばにしておこう。飲み物はコーヒー系と紅茶系と、ジュース系と、あと缶ビール。当然、缶ビールだ。オーダーするものが決まり、順番待ちをする。前には5~6人の客が既に並んでいるが…。
遅い。前の客が全然終わらない。全然列がはけない。キッチンカーの中には姉ちゃん1人だけ。オーダーから金銭の受け渡しから食い物を温めたりドリンクを入れたりといった調理全般いたるまで全て彼女1人でやるのだろう。それは大変だと思う。しかしやり様があるだろ。早い奴は早いんだ、こういうのは。
本当に列が進まなすぎる。俺は「ダラダラ動いてんじゃねえのか?」とイライラし始める。ただ嫁が見るには、一つ一つの動作は案外キビキビしているとのこと。でも総合的に遅いのは嫁も理解しているようだ。嫁曰く「動線が悪いのかな?」と、専門的用語を挙げて分析する。そうかもしれないが、1人なんだから最速で動くしかないだろ。上野なんだから客もそこそこ来るはず。それでも1人なんだから、見合ったスキルと素早さを身に付けるのが彼女の義務じゃないか。甘えたことを言ってちゃいけない。そう考えて見ると、キッチンカー内に納まる彼女は何となく甘えていそうなツラだ。
それは客への対応にも現れている。前の方に並んでいた客がかき氷を頼んだが、どうも「はいかき氷ですね」と素早く復唱し即座に行動に移るような真剣味がない。かといって笑顔もないが。笑顔がない接客なんてむしろ客にとって害でしかないと、なぜ多くの店員が気付ないのか。そして付かないことが何故恥ずかしくないのか。結局、かき氷1人分のオーダーを受けてから客に差し出すまで5分くらい掛かってたな。こんなに遅いのはむしろ初めて見た。
それと、前の客がピザを頼んだら「15分掛かる」とか平気で言ってのける。1から本格的に焼くつもりかと。そもそもにして、こういった簡易的な屋台は素早く出てくるからメリットがあるのであって、屋台で15分待ちなんて有り得ないから。
そんなこんなで1人の客に一体何分掛けているのか知らないが、遅々として進まない中、満席だった屋根付きのベンチが空いた。太陽の光にジリジリと焼かれるこの晴天の下、屋根付きの日陰に隠れられるのは有り難い。嫁はすかさず「ビールとかは私買っとくからあの席取りに行って!」と俺に席取り係を任命。俺は弾かれるように飛び出し、早足で空いた屋根付きベンチへと向かって滑り込むようにドッカと腰掛けた。
その5~6秒後。同じくこの席を取ろうとした客なのだろう。俺のほぼ後ろを歩いてたっぽい男の子が、少し向こうに居るママに向かって「取られちゃったよ~」みたいな声で叫んでいる。「いい、いい、いいからこっちに来なさい」とママ。屈強かつ修羅の形相をしている俺を見て、近付かない方が無難と考えたのだろうか。
それならそれでよしだが、こういうのは早い者勝ちだ。相手が女子供だろうが譲る義務はないし、その気も全くない。周囲の目とか、ありもしない聖人君子増をあるように見せかけ、それがなければダメなんだと思い込ませるがごとき周囲からのプレッシャーは、結局のところ気のせいでしかなく、それをしないからと言って殺されるわけでも何でもない。
それでもついやってしまう輩は気が弱すぎるのだ。そして優しさの意味を履き違えているのだ。感情論では片付けられない。優しさの前に平等がある。優しさを与える権利はあるが、優しくされる権利も有している。節度というものがあり、限度というものがある。無制限に振りかざすだけが優しさじゃないと知るべきだ。
いずれにしても、日陰の席をゲットした。嫁の瞬間的判断が勝ったのだ。間一髪の差で競り勝った俺は、取り損ねた子供の視線を無視するかのように、前方を鬼のような目で凝視しながら脚を組み、いかにも近付きがたい雰囲気で席をキープし続けるのだった。
座って嫁を待つこと10分程度。見れば、屋台の列も少しずつだが捌け、いよいよ嫁の番になった模様。予定では焼きそばと缶ビールだが…。
数十秒後、嫁が困ったような苦笑顔でこっちに早歩きで戻ってきてしまった。あれ?何で何も買わずに列を離脱しちゃうの? 手には何も持っていない。一体何が起こったのか。理由があるはず。
聞けば、「缶ビールがない」とのこと。しかも売り切れではなく「日曜日はビールはやってません」と店員に言われたようだ(本日は日曜日)。ハァ? と俺も流石に思う。看板に「缶ビール」ってちゃんと書いてあるのに。無いなら紙で覆うなりして隠しとけよと。というか本当に日曜日だけなのか? 缶ビールの存在自体ホントにあるのか? などと根本的な疑いすら湧き上がりかねない。
というか、その失態を恥じてもいない、つまり自分のしでかしたことについて何とも思っていない。それはつまり客のことを何とも思ってないということ。客を舐めてるということだ。何のために20~30分待ったのか。待った挙句、そんなゴミのような対応をしてきたのかと。
その不手際が許しがたいので、こんなとこからは買いたくないと嫁は手ぶらで帰ってきたとのことだ。なるほど、あれだけ待たされて「日曜はありませんが何か?」などと平然と突っぱねられれば誰だって怒る。納得できる行動だ。
だが、缶ビールは無いとして、焼きそばはどうした? 買わなかったようだが。
先の缶ビールの対応で、店そのものを嫌いになったのも理由の一つ。しかしもう一つ、どうやら嫁は店の清潔さを疑った模様だ。衛生観念に問題があるのではないか、と。
というのも、嫁の前の客がホットドッグを注文した時、店員はパンを素手でがしっと掴み、ソーセージを載せた。つい先ほどまでレジで金を掴んでいた手で、だ。手も洗わず、アルコール消毒もせず、トングを使うなど道具もせず、いわば汚れた手でそのままパンを掴み、客に差し出すのだ。そんな行為を客の前でやって、何とも思っていないのだ。
焼きそばは最初からパックに入っているから関係も少なそうだが、そんな食料を扱う店員にあるまじき無頓着さを、人が見ている前で平気でやってのける。普段からそういう姿勢なのだろうと思われても仕方ない。そういう人間から食い物を素手で受け渡されたくはないよな。
以上の理由から、結局焼きそばも缶ビールもゲットできなかった俺等。自販機で買ったジュースを飲んで空腹を満たしたのである。いくら放っておいても客が来る超好立地・上野とはいえ、いくらなんでもクオリティが低すぎる。市販のオニギリとかサンドイッチとか持ち込みたくなっても仕方がないわ、これじゃあ。今日は嫌なことが多い。
そういえば、俺等が座った日陰の席の隣のテーブルに、親子がいた。親父と、子供と、恐らく母親と、祖母か。子供がうるさかった。叫び声のような歌のような奇声を上げながらウロウロしている。さらに親父の方は、注意するわけでもなく、「あの屋台のオレンジジュース350円か、高っ!」とか、「コーヒーは・・・高っ!」とか、「モスバーガーの方が全然安いわ!」(どういう基準だ?)とか、「かき氷は…安っ!」(全然安いと思わない)とか、全くもってどうでもいい話をデカイ声で延々と喋り続けたかと思うと、今度は自分の昔の武勇伝自慢らしきことをマシンガンのようにトークし始める。デカイ声で。その武勇伝に妻も母も誰もリアクションしないのだから、一体ここはどんな空間だよと。とにかく声がデカくて耳障りだった。
その上さらに、親父は喋ってる間ずっと貧乏ゆすりをしている。それが非常に目障り。聴きたくなくても耳に入ってくる。見たくなくても視界に入ってくる。この手の輩は本当に迷惑だ。喋りにも身体にも落ち着きが無さ過ぎて、とにかく目障りだった。全くもって今日は嫌なことが多い。
まあ、一応時間は潰せたが、こんなにストレスの溜まる場所ならハーブガーデンという屋上テラスにそこまでの価値は見いだせないというのが本音だった。
■人体展は「混みすぎ」の一言に尽きる
そしていよいよ本来の目的「人体展」。「14:00~14:15」と記載された整理券を手に、14:00ピッタシに入り口前に向かったのだが、既に50~60人の客が前に並んでいた。そんなに見たいのかよコイツら。と只ならぬ情熱を感じ取る。同時に、こういう連中が多く居たんじゃ、中はもっととんでもない混み具合なんだろうな、とも予想する。
予想通り、展示の開始場所に来た瞬間、「終わったな」と思った。
この手の博物館や美術館などの展示の手法と言えば、まず大分類として第1章、第2章、第3章といった感じでの章分けが定番。各章ごとにデカいパネルがあり、そこにつらつらと説明文が書いてあるという体裁だ。そこから各章ごとで細分化されていき、関連する展示物を飾る。その展示物にも説明パネルが付くわけだが。
その第1章のパネル前から既に人で溢れていて進めないのである。かつ、その奥をチラッと見たが、奥の方はもっと人が押し込まれている雰囲気で、人の流れが完全に止まっているとすら見える。ゆったり見るなんて当然無理だし、ザっと概要を把握することすらできないかもしれない。
とにかく展示物に近付けないのだ。展示物が視認できる最前列の端っこで列を為して待っていても、列は止まったまま一向に進まないから展示物に辿り着けない。かといって、後ろから覗き込もうとしても、何重にも人の壁があるためちゃんと見れない。190cmのバスケット選手でもない限り後ろからの鑑賞は殆ど無意味だろう。
当然、パネルも読めない。読めるポジションを確保できない。確保したとしても後から後から人が押し寄せてくるから、ずっとそこで立ち止まるわけにもいかない。後ろから押される形で前に行く、しかし前は前で詰まっているので進まない。しばらく立ち往生しかない。本当にバカバカしい。
この手の展示は、パネルの文字を読んでこそ理解も深まるというもの。それを読めないまま進んだところで理解が深まるはずない。だが現実には理解どころか目を通すことすらままならないのだ。一体この押しくらまんじゅう状態はいつまで続くんだとストレスだけが募るという悪循環の中に居たという感覚が一番強かった。俺等は音声ガイドを借りたのだが、ある意味この音声ガイドがあったから、パネルを見ずとも概要がある程度は理解できたのかもしれない。
そういう状態の中でも、たまに自分の理解が最優先とばかりに最前線にずっと立ち続け、気の済むまでパネルの字を読み、展示物を嘗め回すように見る客もいる。複数客の場合は、その最前列で批評なんかを交わしたりし始める。美術館などでもこの手の輩は一定数の割合で居る。あと水族館とか。「さっさと行けよ」と怒鳴りたくなるのが本心だ。自分のことしか考えていない典型だと。
しかし、本来博物館や美術館ってものは、そういった輩のように一つ一つじっくりと見て、読んで、自分の身に沁み込ませながら、知見を深めながら進んでいくのが正しい鑑賞方法。この「人体展」も、華やかではないが心臓や肝臓、腸など内臓器官の働きなどを一つ一つ説明しつつ、標本も展示し、そこから筋肉や頭脳や神経系などにも分野を伸ばし、総合的に人体の神秘を一般の人間にも分かりやすく説明しようという意欲作だと感じられた。一つ一つじっくりと見ていけば、本当に興味深いテーマだったろう。
しかしながら、いかんせん混雑しすぎだった。多分、全容の10分の1も理解できなかったと思う。ここまで頭に入らなかった展示は、少なくとも美術館系では一度も無かったと思う。過去の同じく国立科学博物館で開催された大人気シリーズの恐竜展でも、ここまで酷くなかった。
会場には子供も結構な数が居た。しかしハッキリ言って、何一つ見えなかったのではないか? 何しろ前に行けないのだから、背の低い子供は見る術がない。肩車も禁止されているし。子供だからと言って、前に詰め寄る大人達は避けてもくれないし場所を譲ってもくれない。子供への配慮とか優しさとか論ずる状態ではなかったと。大人達も自分のことで精一杯で、全く心の余裕がなかったのだと思われる。いつもはこの手の場所で子供が騒いだりすると「このクソガキが」と憎たらしい気持ちになるが、今回ばかりはさすがに子供達が不憫すぎた。
だが何よりもムカついたのは、そんなのっぴきならない状況なのに、係員は只でさえ前に進めず後ろにも戻れず、展示物も文字も殆ど見られない状態が続きイライラが募る客達に向かって、「立ち止まらないで進みながらご覧下さい~」とただただ機械的なアナウンスを繰り返すだけという状況だ。
言いたいことは分かる。人が流れていかないと詰まってしまう。だけど、ここまで精緻に作られた内蔵の模型や、難しい専門用語が散りばめられたパネルや、解剖学の偉人を紹介した気合の入ったレイアウトがあるのに、それをほぼスルーして先に歩け、という。別に理解しなくていいから、とにかく先に進んでくれと言っている。まるでそこらの景色を眺めるかのように、展示物をただ目で追うだけで終わってくれと、そう言っている。そりゃそうだけど、気持ちは十分分かるけど、あまりに客の気持ち考えない無神経な言葉だ。気持ちが籠ってないのがありありと分かる。
あと、「最前列に並ばなくても、後ろからでも、逆側からでお、どの展示からでも好きに見れますので、一か所に固まらないで下さい」的なことも言っていた。そのアナウンスもこういった展示会では恒例だ。でもその後ろから見るっていうのが出来ないから最前列に並ぼうとするんだって。別の展示を見てからまた戻ればいいと言うけど、人の波から外れると、そこから前の展示に戻るには人の波を逆行しつつ、割り込まないといけない、結構ハードで疲労する動きなのだ。やりたくてもやれないのだ。という客の気持ちも汲み取ろうとしない係員のアナウンスが、今回はいつもに輪を掛けて鼻に付いた。みんな分かってんだよ。分かってて出来ないから仕方なくやってんだよ。それを正論の上っ面だけを切り取って無遠慮に言葉として投げかけてくるのは本当に腹が立つ。
とにかく人が多すぎた。無秩序過ぎた。自由に動けず、他の客にストレスを感じ、係員にもストレスを感じ、結局この空間そのものに嫌悪感と徒労感を抱き、だから肝心な人体に関する知識や知恵もそこまで頭に入って来ず、ゆえに理解も乏しいまま、漠然と全体像だけを追った展示会だった。
嫁は「面白かった」という。確かに面白かった。テーマ的には。だけど展示会に満足したかと言われれば、不満ありまくり。ここまで心が逆立った展示会も久しぶりだった。
■上野公園はいつでも催し物がある
ストレスの多い「人体展」をようやく終えると既に夕方の16時。2時間くらい見学していたのか。疲れた。そして腹減った。アメ横界隈の飲み屋にでも飲みに行くとしよう。
その前に、上野公園の噴水前広場でやっている催し物を少し見学。この噴水前広場は一年中何かしらのイベントをやっているから飽きない。今回は、「さつきフェスティバル」と陶器市?みたいなイベントをやっていた。
「さつきフェスティバル」に飾ってあるさつきは、どれもが色鮮やかで、中にはピンクと白とが混ざった特殊配合ぽい花びらを持つさつきも多く見られ、栽培者の熱意が伝わってくる。花絡みのイベントに来る年齢層は高めになりがちだが、基本的には全年齢対応と言っていいだろう。花は綺麗だから。年齢に関係なく等しく人の心を打つ。それが花というもの。
そのさつき達の中で、一際見事なさつきが展示されている。見れば、「最優秀賞」と書いてあり、何かしらの賞を取ったさつきと判断できる。その最優秀賞のさつきの前では、年配の男性1人と女性が2人、カメラマンに記念撮影をしてもらっていた。栽培者とその家族だろうか。そう思い、彼等が記念撮影を終えた後、そのさつきを鑑賞していた。
すると、その記念撮影3人組の中の1人の女性が、「このヒト、このさつきを栽培してるヒトなのよ♪」と、俺に向かってかなり馴れ馴れしそうに話し掛ける。やはりそうだったか。「マジすか、スゴイすね!」と俺はまず笑顔で返しておいた。実際、ここまで見事な栽培をするのはすごいと思うし。
栽培者当人と紹介された初老の男性は、「大したことないですよ」と照れ臭そうに笑いながら、満更でもない表情をしている。やはり、自分が育てた花を称賛してくれる相手が居るのは嬉しいのだろう。花でも作品でも、何でもそうだ。支持してくれる相手が現実に目の前に居る。応援してくれる人が実感できる。それは力にこそなれマイナスいはならないはずだから。
そして男性は結構お喋り好きだった。どうやって育てるのか、ここまで綺麗な花を咲かせるのに何年くらい掛かるのか、鉢はどこで買うのか、など思いつくままに質問してみた俺だけど、その質問に一つか二つ豆知識を追加する形でレスポンスしてくる。嬉しそうな顔で。何かずっと喋っていたそうな感じだ。向こうで嫁が待っていたので5~10分程度話してからその場を離れたが、男性は終始嬉しそうだった…。
そんな俺の対応に対し、嫁が「あんなに話を聞いてあげちゃって、優しいねーw」と半ば呆れ気味に言ってきたが、既に老人に差し掛かった年齢の男性が見せる、少年のような瞳と笑みを見せられたら、そんな簡単には引き下がれないだろうな。いや、引き下がってはいけないのだと、ロマンある人間なら分かってくれるはずである。
とりあえず色々聞いたところ、このさつきは100年とか200年ものらしい。樹齢200年くらいのもの樹木に、新しい枝を継ぎ足ししたり、という感じか。その男性の父親から譲り受けたさつきだそうだ。その父親も、さらに彼の父親から譲り受けて。代々伝わるさつきの樹木だという話だったと記憶している。なかなか壮大な話。そしてロマンに満ちた話ではないか。
また、今回は5月に展示されたが、5月にちょうど見事な花を咲かせるために1年前くらいから調整しながら育ててきたとか、そんな話も確か聞いた。愛情がなければできないことである。色々とためになったとも言える。
ふと立ち寄った「さつきフェスティバル」で、ふと短い会話を交わした初老の男性のことを、俺は後々まで忘れない。
もう一つの陶器市では、六角箸を土産に買ってさっさと終了。アメ横の飲み屋へと繰り出す。時刻は既に16時半に差し掛かっていた。
■アメ横の活気と飲み屋の群雄割拠
アメ横は相変わらずスゴい人だ。しかし花見時期などのピーク時ほどでもない。それでもメイン通りや立ち飲み屋が乱立するエリアの人の行き来はすさまじい。そんな中、外に椅子を出して飲むから、いいのだろう。その「いかにも上野」という雰囲気がいいのだろう。大統領をはじめとする立ち飲み屋群は今日も大盛況。
そこから少しだけ離れた「活鮮市場」の弐号店で今日は飲んだ。外に椅子は出せないが、刺身をはじめとする魚料理が非常に美味い。店も出来たばかりらしいので綺麗。そこで美味い魚を食いながら、TVで大相撲夏場所千秋楽を見物しながら上野の楽しい飲みを終えた。鶴竜、優勝おめでとう、と…。
■温泉と再度の大相撲視聴で締める
上野の後は、西新井温泉でしっかり汗を流し、飲み過ぎた酒の酔いも覚まし…。久々に岩盤浴を受けたからか、汗が異常なほど流れたのは計算外。しかし腰痛が酷くなっているのも計算外。次の鍼治療まで何とか持たせなければ…。
帰宅後、酒を飲み菓子をツマみながら、今日飲み屋で見た大相撲夏場所千秋楽の全容の録画した分を全て最初から見ていた。栃ノ心は大関確定。優勝した鶴竜は白鵬よりも安定感を備えつつある。阿炎はあと一歩だがまあ良くやった方。豪栄道と高安は本当に不甲斐なく、もう鶴竜、栃ノ心の時代到来でいいんじゃないかと思った日曜日の夜のこと。自分自身の時代はいつ来るのだろうか、本当に来るのだろうか、とも思った夜のこと。
いつもより結構酷めの腰痛と、時代に取り残されそうな不安感とでなかなか寝付けない俺は、初心に返る意味もこめたのか、本棚にある「ぼくの地球を守って」を取り出し、読み出した。なぜまた「ぼく地球」を。転生して今度こそ生まれ変われということか。
何だかんだと「ぼく地球」はいつ見ても、何回読んでも名作だが、そのせいで午前4時まで夜更かししてしまった。これで月曜の仕事は居眠りとの戦いが確定だ。分かってるのに、つい夜更かしする悪い癖。地球を守るより先に、ぼくの睡眠時間を守ってと言いたくなる。